【C-14】「ありがとう、西新エルモールプラリバ。また、巡り逢う日まで。」

僕が小学校低学年頃(そのときはまだ西新エルモール岩田屋の、青のワンポイントを利かせた白看板を掲げてた時代)、まだ当時は多かった西新止まりの3番の西鉄バスで婆ちゃんによく連れて行ってもらいました。

8階、および屋上にはペットショップや遊具などもあり、ワニをたたくゲームで遊んでいたのを思い出します。

プラリバになっても行ってました。内装が若干おしゃれになったのを覚えてますね。あと、ダイソーやサニーも行ってました。味噌ラーメンを初めて食べたのもここでした。

そんなプラリバが今日の20時を迎えて、終わりになるとは幼い頃の僕だったら信じられない話で、

この、新しいものが受け入れられ、伝統あるものが捨てられる社会や、そういった思い出が10年以上前にもなり、最近プラリバに行ってなかった今の僕にとっては信じられる話でした。

この僕がプラリバを忘れかけてたとき、なくなるという残念感はあまりありませんでした。


とはいっても、僕は忘れかけていても、完全に忘れることはありませんでした。7月30日、大学がおわったあと、エレベーターを撮影する目的をもって、プラリバへ。



「おおおおお!!!全然変わってない!!!!!」

目の先にみえたエレベーターは10年前にみたものと変わりありませんでした。

僕はタイムスリップしてしまったかの如く、これを舐めるように写真をとりながらじっくり見てました。

気づけばシャッターが閉まり、20時。


そとには月がいい位置に出てました。



「58mcとプラリバの写真が撮影できるのもこれが最後かもしれない。」

そう思ったとき現実に戻ってきたのです。

とてもつらかったです。変わらない西新のシンボルが、僕の思い出の場所が、完全に姿を消すのを改めて想像すると悔しくて仕方ありません。

でも、この感情、少年だった昔の僕がよみがえって本当によかった・・・きっとこの悔しい、なくなるのが信じられないという思いがなければ、別れができませんでした。

2015/7/31、閉店の日。行くか悩みましたが、悩んだときは困難な道を選ぶ。そんな想い、また友人方が撮影に行ってきた、と報告を受け、夕方行くことにしました。





正面の入り口からは人の混雑でいけないので、違う入り口から入ることに。



エスカレーターで7階へ向かいます。それにしても大盛況です。


7階。最初に言ってた味噌ラーメンの店はココでした。残念ながらなくなってますね。


催事場は閉店間際のためすっからかん。それでも多くの人がここにいらっしゃいました。その目的とは・・・


そう、窓があるからです。35年ほど前にできた大きな建物に設けられた窓。当時は西新の町を広く一望できたのでしょうか。いまとなって周りにビルができましたが、それでもここから見る風景は、西新の昔から住む人、エルモールの常連客にとって、大切なものだったのかもしれません。



閉店時間になり、1階へ。


人が多くあまり進まない中、出入口では関係者が「ありがとうございました。」と出迎えてました。涙腺にきました。


本当に閉店するのか・・・この扉を出れば、もう、お別れの時です。


西新四丁目交差点付近。プラリバ前広場だけでなく、こちらでもかなりの人が見守っています。


20時25分。最後のお客さんが出られ、長い歴史とともにシャッターを下ろしました。



西新エルモールができたとき、きっと反対の声があったと思います。こんな大きな建物が町にできるのですから。

でも。この日は別れを惜しむ人が1000人ほど集まっていました。きっとここに来ていないひとでも多くいらっしゃったのかもしれません。

つまり、それほど愛され、顔になり、西新を引っ張ってきたんだと感じました。

もう次の日からは建物はあっても、顔はありません。ここから自宅へ帰っていて、少しばかり寂しくて泣いてしまいました。



最後に西新エルモール、ならびにいままで支えていただいたみなさんに、ありがとう。



なお、エレベーターの記事はこちらにございます。 → 【E-26】(EV24)三菱:乗用 西新エルモールプラリバ(動画有)

また、この記事の30日、31日の写真撮る際に同行させていただきました、みやうち氏の記事は、昼間のプラリバの撮影もされていて面白いです。是非こちらにも足をお運びください! → プラビバ! ファイナル

(最終更新日:2015/08/01 - ver1.00)
2015/08/01 → 最終日に撮影した写真を追加しました。
2015/07/31 → 30日に撮影した写真および記事を公開しました。

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